株式会社キノックス

きのこ驚きの秘密・その5

ハツタケの学名

ハツタケの学名はLactarius hatsudake Tanaka で、マツ林に発生する古くから食用に供されてきた日本人には馴染みのきのこですが、学名を付けたのは日本の近代菌類学の創始者のひとりとされる田中延次郎です。ツュンベリーの「日本植物誌」にはFastake、シーボルトの「日本帝国経済植物総覧」にもHattake として名前は記載されているのですが、学名は付けられていなかったのです。
 1852年にアメリカ合衆国はカリフォルニアから中国への汽船航路を開拓するため、北太平洋の調査を行っており、日本にも寄港して琉球、奄美、小笠原、鹿児島、種子島、下田、箱館(函館)で植生の調査が行われました。菌類の調査を行ったのは植物学者のライトで、彼が採集した標本はイギリスのバーケレイとアメリカのカーティスに送られ、同定結果が1860年に報告されています。その標本中に奄美大島で採集されたハツタケが含まれており、Lactarius lividatus Berk. & M.A.Curtis. と学名が付けられました。これらの標本は現在アメリカのハーバード大学とイギリスのキュー植物園に保存されているのですが、1991年にハーバード大学のライトの採集した標本を調査した森林総研の根田氏の報告によれば、形態特性や顕微鏡による胞子の形状、更には特徴に基づいて付けられた学名(Lactarius:乳汁を持つ、lividatus:青ざめた)から判断して、Lactarius lividatus Berk. & M.A.Curtis. はハツタケであることが確認されています。田中もLactarius lividatus について知らなかった訳ではなかったようですが、白い乳液の記述がなかったことから誤解してしまい、ハツタケではないと結論付けてしまったと言われています。
 よって、命名規約に従えば、田中より30年前に命名された学名が優先することから、ハツタケの学名は、Lactarius lividatus Berk. & M.A.Curtis. と言うことになりますので、今後、田中が命名した学名は変更されることになってしまうと思われます。因みに、学名の最後のM.A.Curtis は、同じ性のWillam Curtis(マンネンタケの学名の命名者)と区別するため、ファーストネーム(M.)とミドルネーム(A.)の頭文字が記載されているのです

日本菌類図説
(1890年)

田中(旧姓市川)延次郎
(1864~1905年)

(ハツタケの学名の推移)

ツュンベリーが「日本植物誌」にFastaki と記述するが、学名記載なし(1784)。

シーボルトが「日本帝国経済植物総覧」にHattake と記述するが、学名記載なし(1830)。

学名:Lactarius lividatus Berk. & M.A.Curtis. (1860) :新種記載
バークレイとカーティスにより学名記載。

学名:Lactarius hatsudake Tanaka (1890) :新種記載
日本の田中延次郎により新種記載(日本菌類図説)。Lactarius lividatus はハツタケではないと誤解してしまい、新種命名。

学名の確認:Lactarius lividatus Berk. & M.A.Curtis. と命名されたきのこは、森林総研の根田氏がハツタケであることを確認 (1991)。

Lactarius lividatus Berk. & M.A.Curtis. に学名が変更される可能性がある。

 

参考文献 : きのこミュージアム(2014年)

著者:根田仁、発行所:八坂書房