きのこの雑学・ぶなしめじの雑学 生産流通について 「ぶなしめじ」は大手酒造メーカーと長野県経済連が提携して栽培を開始するようになったことで、昭和53年頃から生産量が急増するようになりました。政府の統計資料には昭和54年から記載されるようになるのですが、生産の安定性と販売単価の好調性から、平成元年頃からは長野県の企業が、また、平成18年には新潟県の企業が参入するようになるのです。大手企業が参入したことで、急激に生産量は増加するようになるのですが、生産量が増えたことで販売価格は平成元年をピークに、その後低下傾向へと転じるようになってしまったのです。「ぶなしめじ」は「まいたけ」に次いで新しいきのこなのですが、大手企業が参入したことで、生産量が急増し、10万tの大台を超えるまでに生長した結果、平成10年には人工栽培の歴史が最も古い「しいたけ」の生産量を上回るようになり、現在では「えのきたけ」に次ぐ第2位の生産量を誇るきのことなっているのです。因みに「ぶなしめじ」の生産量は生産が開始されるようになってからずっと右肩上がりに増加しており、平成24年が最大ピーク生産量となり、ようやく近年になって生産の伸びに落ち着きが見られるようになっています。人工栽培の歴史の新しいきのこなのですが、順調な生産量の増加傾向は、人気の高さを裏付けるものと言えます。因みに、主要生産県は大手企業が所在する長野県、新潟県、福岡県が上位を占め、これら3県で全生産量の70%以上を占めています。 (表1)ぶなしめじ生産量の年次別推移(単位:t) 昭和54 55 60 63 平成元年 3 5 6 7 1,071 1,600 9,157 16,089 22,349 36,623 48,480 54,436 59,760 8 9 10 11 12 13 14 15 16 66,657 72,024 78,655 84,330 82,414 86,550 83,790 84,356 88,066 17 18 19 20 21 22 23 24 25 99,787 103,249 108,996 108,104 110,741 110,486 118,006 122,276 117,154 ◆ きのこの雑学 目次ページへ戻る ◆
生産流通について
「ぶなしめじ」は大手酒造メーカーと長野県経済連が提携して栽培を開始するようになったことで、昭和53年頃から生産量が急増するようになりました。政府の統計資料には昭和54年から記載されるようになるのですが、生産の安定性と販売単価の好調性から、平成元年頃からは長野県の企業が、また、平成18年には新潟県の企業が参入するようになるのです。大手企業が参入したことで、急激に生産量は増加するようになるのですが、生産量が増えたことで販売価格は平成元年をピークに、その後低下傾向へと転じるようになってしまったのです。
「ぶなしめじ」は「まいたけ」に次いで新しいきのこなのですが、大手企業が参入したことで、生産量が急増し、10万tの大台を超えるまでに生長した結果、平成10年には人工栽培の歴史が最も古い「しいたけ」の生産量を上回るようになり、現在では「えのきたけ」に次ぐ第2位の生産量を誇るきのことなっているのです。
因みに「ぶなしめじ」の生産量は生産が開始されるようになってからずっと右肩上がりに増加しており、平成24年が最大ピーク生産量となり、ようやく近年になって生産の伸びに落ち着きが見られるようになっています。人工栽培の歴史の新しいきのこなのですが、順調な生産量の増加傾向は、人気の高さを裏付けるものと言えます。因みに、主要生産県は大手企業が所在する長野県、新潟県、福岡県が上位を占め、これら3県で全生産量の70%以上を占めています。
(表1)ぶなしめじ生産量の年次別推移(単位:t)
55
60
63
平成
元年
3
5
6
7
1,071
1,600
9,157
16,089
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